善と悪

世の中に「善」と「悪」は必ず存在するものであるが
「善」と「悪」はそう簡単に判断・区別できるものではない
物事には必ず二面性があり
良いことには必ず悪いことも付随してくるし
悪いことには必ず良いことが付随してくる
そして、多くの場合は
そのどちらか一方の面しか見えない状態に置かれていて
人はそれに気付かないまま善悪を判断している

理想的には最終的な善悪の判断は
全てを明らかにし、善と悪の量的比較によってなされるべき
なのではあるが
実際にそうなることは少ないというか、できないのが現実である

人には都合があり、立場があり
見せたくないことがあり、見たくないことがあるからである

そういったわずらわしい状況を
簡単明瞭にするために作られたのが法律・規則である
判断はデジタル方式で
守れば「善」、守らなければ「悪」となる
しかし、世の中には
白と黒だけでなく赤や黄や緑、その他多くの色が存在し
それを白と黒のたった2つのカテゴリーに分類することは無理なわけで
結局、法律を守っている「善」の中にも「悪」は含まれるし
守っていない「悪」の中にも「善」は含まれているという事態が起こる
簡単明瞭な判断基準ではあるが
同時に多くのものを切り捨てる多様性・柔軟性のない基準でもあるのだ

ところで僕は
自分の良心に反しない限り
平気で法律・規則を破る人間である
すると法律・規則の観点から見ると「悪」だ
しかし、だからといって本質的に「悪」であるかというと
そうではないと思う
確かに、心の奥底にはドロドロとした悪の感情があることは否定できない
しかし、それを超える崇高な善の心、良心があり
それを抑圧し拡散しているのである

そう、ここで重要なのは「良心」だ
信仰心が厚い人などは神の存在と大きく関わってくることだが
「良心」は法律や規則でなく
森羅万象からの自然発生的な規範である
いわゆる自然法に基づく判断基準であり
生物・人類として普遍的な規範であると同時に
法律などのように形あるものではなく
人・文化などによって形が異なってくる可能性を含み
普遍性を欠いた規範でもある

そして、その中の全人類共通普遍の規範こそが
善悪の最もよい判断の基準となるであろう

とは言っても、実際
何が「善」で、何が「悪」かの判断は
とても難しい
結局、一番大切なのは
世間一般で「悪」だから「悪」、「善」だから「善」ではなく
自分の培ってきた良心に照らし合わせ
あるいは、全能なる神に対して恥ずべき行為ではないかを確かめ
判断することである

モドル