人間には欲というものがある。
食欲・睡眠欲・性欲・知識欲・金銭欲 等々
日本的に言えば108個の煩悩
キリスト教的に言えば7つの大罪
「欲」という言葉の響きには常に悪いイメージがつきまとう
しかし、欲というものはほんとうに悪いものだろうか
持たない方が良いものだろうか
いや、決してそのようなことはない
なぜなら人間の生きる原動力がそこにあるからである

食欲がなければ何も食べずに死んでしまう
睡眠欲もしかり
性欲がなければ子孫を繁栄することもできない
知る欲がなければ何も学ぶことができない
つまり人間の生は欲を行使することで紡がれて行くのである
そして、欲を捨てるということは
人間として
いや、生命として生きることを放棄することである

仏教では欲を全て捨て去れば仏になれるとされているが
それはまさしく本当である
即身仏はまさに食欲までも捨て去った姿であるし
また
日本では遺体のことを仏と呼び
死んだ人を仏様として仏壇に祭る
世界的にも珍しいことであるが
つまり、日本人にとっては
「死」=「神様と同列である仏になれるもの」である
つまり、生きるための欲を捨てたときは死ぬときでもあり
それと同時に、仏になれるときでもある。

欲はまさに生なのである

しかし、ただ単に「生=欲」だとすると
生きていくことが最低限満たされればそれで満足なはずであるが
そうではないのが人間である
人間は他の動物よりも
生きていく上で必要な欲以上の欲を持ちがちである
それは、いかに人間が生きることに余裕があり
暇な生物であるかということである
毎日をその日のことだけに追われギリギリ生きている者には
明日、そして1年後、10年後を考える余裕などない
すると、その者の欲は1日生きられれば良い範囲に収まる
しかし、余裕が出てくると先を考えずにおれなくなってしまい
その欲は
何十年も先まで生きるために現在不必要な分までも
そして、死んでも余るくらいまでもどんどん拡大されていく
これは実に良くない現象である
何故なら、この世の物質には限りがあるからである
生物たちはこれらを分配し、それぞれ生きているのであり
一部の生命だけに物質が偏ることは
生命全体の流れとして不自然なことであるからだ
そして、不自然な物は自然の流れの中に
駆逐され消え去り行くのみ
欲の過ぎたるは身を滅ぼすのみ
まさに盛者必衰の理である

では、どうすればいいのか
それは、欲をコントロールすればいいのである
必要なときに欲を引き出し
不必要なときは押さえる
それだけである

モドル