幸せ

世の中には全世界の全人間が幸せになれることを目標に
活動している個人・団体が存在する

たとえばその昔
おりしも僕が大学三回ぐらいのころ
僕の家に靴下を売りに来たお姉さんがいた
彼女は大学を卒業して、やりたいことが見つからず
週何千円かの会費を払いボランティア団体に所属していた
その団体は講習会を行う一方
会員に
なんの変哲もない靴下:一足千円
趣味の悪いハンカチ:一枚千円
等を訪問販売させ
それを活動資金に人助けをしているという
そう、そのお姉さんが全世界の人が幸せになれるようがんばってると言っていたのだ

僕がさんざん神とは何かとか、全人間が幸せになるのは無理だとか説明してあげたら
やたら感心して?セミナーに来ないかと誘われた
僕は絶対弱い人間を搾取してるあやしい宗教団体もどきだろうと思ってたので
丁寧にお断りしたけど・・・
そーいやそのお姉さん、働いた事ないだけでなく
選挙にすら行った事ないとか言ってたなぁ
(ちょうど市長選かなんかが終わったとこやって聞いてみたんよ)
大学生の俺でさえ毎回投票に行ってたのに
あやしい自己満足のボランティアの前になんかすることあるやろーて
税金払うとか・・・あっ消費税払ってるか・・・

しかしながら、
全ての人間が幸せになるということは可能なのだろうか
例えば、仮に全ての人を同じ生活・人生の状態に置けるとしても
その状態を幸せと感じるか、不幸せと感じるかは個人によって違うだろう
まぁ、全人類に洗脳による思考統一を行ったり
ロボトミー手術を施したりすれば
どんな状況にあろうと
全ての人に自分は幸せだと思わせる事はできるかもしれない
でも、これが本当の幸せかどうかはかなり疑わしい

ところで、
人間は自分が幸せであるかどうかをどうやって決定しているのかというと
たぶん、一番世の中にあふれている幸・不幸の決定の仕方は
他人より上か下かという判断によるものである
自分より不幸な人を見れば自分は幸せだと思い
自分より幸せな人を見れば自分は不幸だと思う
その繰り返しによって自分の幸・不幸の位置づけを決定していくのである
また、自分が不幸せな状態にあるところから幸せな方向へ上昇したとき
その人は幸せと感じる事ができるのかもしれない
また反対に、幸せがあるからこそ
自分は他人より不幸だとか、前より不幸になったという状況が起こるわけで

すなわち、幸せを感じるためには不幸は絶対に必要不可欠で
不幸を感じるためには幸せは絶対に必要不可欠なものとなる
そうなると全人間が幸せになることは不可能になる

てゆーか、幸せでないと思うから人間がんばれて
幸せでない人がいるから世の中が発展していくのかもしれん
全ての人間が今ある幸せに満足したとき=人類の終わりなのかもしれん

ちなみに俺にとって最高の幸せとは
平凡な家庭、平凡な結婚、平凡な出産、平凡な生活、平凡な人生、平凡な死だな
まぁ、実際はこれに反して生きているような気がするが
最終的に欲しいのはこれだよ、これ

モドル