差別と平等

最初に言っておくが、僕は世間で言うところの区別主義者である
でも、差別と区別の違いを明確に定義することはできないので
ある意味、差別主義者ともいえるかもしれない
まぁ差別と区別の違いを議論すること自体意味がないことで
その二つが境目なんかは存在し得ない連続した存在であることは間違いない
とりあえず僕は、差別=悪、非差別者=善
という図式は必ずしも成り立たないと思っている
差別者にも非差別者にも組みしない中立的な立場の人間である

だいたい、全てのものが平等という状態は
決して実現することのない世界であり
欺瞞に満ちた歪んだ理想にすぎない
また、実現したところで何もかもロボット化・コピー化した
くだらない世界にしかなりえないのである

また、よく差別の悪を語る人間に
「動物には差別はないのに、人間だけが・・・」
という人がけっこういるが
(すくなくともうちの大学の教授はこうだったな)
僕には、動物は明らかに弱いものをいじめ・支配し
人間より完全な縦社会を形成してるようにしか見えないんだが・・・
(嵐山の猿山なんかに行くとよく分かる)
親の力関係・群れの力関係で立場・生き方が決定される
人間であればこの状態を100%差別と言うだろう
では動物はなぜ言わないのか
口がないから・・・知恵がないから・・・
いや違う
それは、平等でなければいけないという意識がないからだ
そう、人間は平等主義を主張するあまり
多くの差別を生み出し続けているのだ

平等主義の上に立つ
その資質・能力にかかわらず平等だという意識は実際恐ろしいものである
職業の選択にしてもそうだ
全ての人がかっこいい、スマートな仕事に就けるという
ジャロにひっかかりそうな過大な思想を植え付けられ
地道な仕事や、汚れる仕事は敬遠される
失業率が上がり若者の就職難がとりだたされる一方
農村では人手不足に悩んでいる

そしてさらに、平等主義が溢れ出すと
頭の良さで採用するのは差別だとか
容姿の良さで採用するのは差別だとか
自分は仕事ができるのに採用されないのは差別だとか言うやつがでてくる
だいたい、平等に雇うとかいったこと自体がナンセンスで
会社なんてとこは欲しい人数決まってるんやから
そら、欲しいやつ・何かしら能力があるやつの上位の方から採るよ
当然、容姿がいいのも、頭がいいのも能力の一つ
そんな採用条件にいちゃもんつけるぐらいなら
そんな会社受けんなっちゅーねん
それでも入りたい奴はただその会社のブランドが欲しい
ただのだだっこ!としかいいようがない

結局、差別なんてものは価値観の問題でどうにでもなるもので
発想・価値観の転換ができれば意味のなくなるものである
それができない人間が多いから差別っていう考えがなくならない
または、なくなると困る人間がいるからなくならないんだな

人間生まれたときから不平等なものなんよ
それがあたりまえであって 能力あるやつはそのハンデを乗り越えて
上へ登って行くんだよ
差別だとか吠えてるやつは能力のない負け犬
自分の能力のなさを差別にすりかえてんのよ
同時に、差別をするやつも能力のない負け犬
やつらも自分に価値がなく
そうする以外しか他人に勝ってるという気持ちを持てない
かわいそうな生き物なんだよ

他人に勝ってるとか、負けてるじゃなくて
自分のいるポジションで満足して幸せ平凡に生きること
の価値がわからないやつはほんま馬鹿だ

平凡ほどすばらしいものはないよ

モドル