恋愛

恋愛はまずその字を「恋」と「愛」に分けられる。

「愛」は、
親子愛、兄弟愛、人類愛、動物愛、物への愛、恋人への愛・・・と
あらゆる事象に使われる。
そして、反対に「恋」は恋人に対して、
もしくは恋人にしたい人に対して限定的に使われる。
しかし、恋人は「恋」という字がついているのにもかかわらず
愛する対象にも入る。

これは、「愛」>「恋」という関係であり、
「恋」は「愛」に含まれている包括的な関係であるということである。
また、「恋愛」の初期状態は「恋」状態にあり
成熟するに従って「愛」状態に移行してゆく、
「恋」と「愛」はそんな直線的な関係でもあるということである。
また、「恋愛」は二つの生物の関係によって作られて行くものであり、
二つの生命の鎖のからみあいのによって構成されている。
つまり、「恋愛」とは「恋」が中心にあり、
それをたどり回転する毎に「愛」の色合いが濃くなって行く
渦巻き円状の、つまり蚊取り線香状のもので、
その一本一本は二本の鎖で二重螺旋構造をなしている
といった構成の物質なのである

ところで心理学的には
「恋」は脳内麻薬物質が見せる幻だといわれている。
ある意味これは正しい見解であるだろう。
人と人が出会ったとき
人はお互いの持っている情報に相手を照らし合わせる。
生まれたときから持っているDNAの情報
生まれてから培われたあらゆる情報
それらを照合し、分析した結果、脳内麻薬物質の分泌量が決定され、
分泌量が多いと「恋」の状態ができあがるわけでである。

しかし、なぜ「恋」という幻が存在するのか?
幻なら存在してもしかたないのではないか?
いや、そうではない。
「恋」は「愛」の前段階であるがゆえに
存在しなければならないものなのである。

まず、人と人、個と個というものが
家族、親戚などの身内以外の人間と直接的に
「愛」というもので結ばれた関係になることができるか
というと、まず、その可能性は低いであろう。
そう、「恋」というものは身内以外の人間と「愛」作るため、
未知の人間どうし「愛」を作るため、の導入として存在するのである。

また、どうして外部の人間と「愛」を作る必要があるのかということであるが、
それは、肉親、親戚などDNA配列の似た者同士が子供を作ると
奇形児が確率的に多く生まれるということもある
しかし、それだけではない、
似たDNA配列をもち似た生活をしている似た性質の集団は
相対的に見て非常に脆い存在であり
ある一定の悪要因のもとで一気に全て滅んでしまう可能性があるからである。
もし、集団が性質の違った多様な人間で構成されていれば
一定の悪要因のもとで死ぬものもいれば生き残るものも出てくるはずである。
つまり、種の保存のため、
身内以外の人間と「愛」を作ることは必要不可欠なのである。

モドル