子殺し

鼠の雄と雌を限られた空間の中に閉じ込め
繁殖させ個体数を増やしてくと
個体数はまさにねずみ算式にどんどん増えていく。
しかし、ある一定の数になると急に増えなくなる。
それはなぜかというと
親による子殺しがはじまるからである。
一定の空間で生きていくことのできる鼠の量を超えたことを知ってか
親は生まれた子供をどんどん殺していくのである。

昨今、人間の世界でも子殺しが流行っている。
虐待して殺したとか
食事を与えずに栄養失調で殺したとか
コインロッカーに置き去りにして殺したとか
色々と世間の批判の的になっている。

だが、このような生んだ後の子殺しに関しては批判が多いのに対して
生まれる前の子殺しに関してはもはや一般的で
当たり前のことのようになってしまった節がある。

しかし、生んだあとの子殺しと生む前の子殺しに違いはあるのだろうか?
僕が思うにそこには
見えるか見えないかの違いしかない。
人間は
見えない悪は悪とみなされにくく
罪を犯す者の罪悪感も少なくなる傾向があり、
見える悪は悪とみなされ易く
罪を犯す者の罪悪感も多くなる傾向がある。
そうは見えても実際の殺しの重さに関しては、
生んだ後が悪くて生む前が良いなんて違いはありえない。

僕は妊娠4ヶ月の胎児の人工妊娠中絶の過程における内部の様子を
超音波を使い撮影したものを見た事がある。
その内容はこんな感じだった。

医者はスプーン2枚を重ねたようなハサミを子宮につっこみ
逃げ回る胎児の頭を掴む。
ハサミを締め頭骸骨を砕き
開いていない狭い産道でも通り易いような形にする。
引きずり出してバケツにポイ
ハサミで掴まれたときの暴れよう
そして頭が砕かれ急に火が消えたかのようにぐったりする様子
生命の足掻きを感じずにはいられなかった。

妊娠の兆候が現れ、妊娠が発覚するのは
普通妊娠3ヶ月以降である
しかし、そのときすでに
小さいながらも人間の形はできあがっていて
思考があるかどうかはわかっていないが
感情のようなものが既にあることも確かである。

それを殺すことは子殺しではないのか?

法律的に言えば子殺しにはならないであろう。
生まれる前なら戸籍も無く
人間としてまだ登録されていない状態なのだから
しかし、自然法的に言えば明らかに子殺しである。

つまり、人工妊娠中絶とは
医者と言う殺し屋に子殺しを依頼し
自分の手を汚さず
見えないブラックボックスの中で自分に見えないように殺させる。
そういったダークサイドな行為である。

ゆえに、中絶した者はその負を背負って生きるべきであり
妊娠を望まないのなら避妊するべきであり
レイプの場合等を除いて
妊娠した場合は責任を持って生むべきであり
中絶を行う医者は陰鬱で死刑執行人的なイメージであるべきであり
明るい中絶、お手軽な中絶などがまかり通ってはならないのである

実際、母体の危険性だけを考えると
生んでから殺した方が
明らかに中絶するより安全であるし
生んでから自分の手を汚して殺した方が
自分の行為の責任というものを感じられるはずである。

一回、自分で殺せよ

凝りもせず妊娠→中絶を繰り返すカップルを見ると
そう思ってしまう

モドル