狐と狸と鯨と犬と鶏

この前NHKで
イギリスの「狐狩り」の習慣が
残酷で非人間的だと動物愛護団体から抗議を受けていること
についてのドキュメンタリーがやっていた

存続を望む会の集まりを愛護団体が取り囲み
手に手に死んだ狐のスチル写真を持って
「おまえらは人間のクズだ!」とか叫んでいた(字幕にそうついてた)
なんだかその映像はヨーロッパ中世の悪魔狩りを連想させた
なぜそこまで強烈に口汚なく他人を罵れるのか分からない
自分を正義の使者とでも思い込んでるのだろうか?
愛護団体は異常者か頭の足りない人の集まりなのか?
それとも何かの営利目的に動いている小汚い集団なのか?

確かに狐狩りは見た目は残酷かもしれない
でも、現在自分たちが食べている
牛や豚や鳥なんかも殺して解体しているところは同じように残酷なはずで
しかも、年間に殺されていく数も数万倍だ
それに目を向けることはせずに
他人の目に見える分だけに文句をつける

ところで国道9号線を京都から福知山に夜走ると
内臓をぶちまけた狸に1回は必ず遭遇する(多くて3回ぐらい)
必ずということは最低1日に一匹は車にひかれて死んでいて
年間で365匹以上の狸が死んでいるわけだ
狐狩りで殺されるのは数匹
しかも、狩られた狐は犬の食料になり皮は売られ利用されるが
交通事故死の狸は清掃局にゴミとして持ってかれるだけ
これほど生き物として空しい死はないだろう

結局、動物が減少しているのは
狩りの影響なんかよりも
人間の住空間の拡張・開発、環境破壊による影響の方が明らかに大きい
にもかかわらず
愛護団体の攻撃先は狐狩りなのである

同じように愛護団体が日本に文句つけてるのが鯨漁なるもので
「鯨は哺乳類だからかわいそう・残酷」とか
「鯨はかわいいのに残酷」とか
自分が食べないのをいいことに
まったく食文化というものを理解しようともせず
子供じみた理由で反対している人も多数いるという
そして、政治家は票稼ぎのための日本攻撃を行う際にこれを掲げる

また、韓国では犬の肉だ
韓国では犬は食用のため家畜として育てられ
焼き肉などの材料として欠かせないものだったが
「かわいいわんちゃんを・・・」の
愛護団体の攻撃に韓国政府はイメージが悪いからと犬肉を禁止
一時期全てアンダーグラウンドにもぐったが
最近、政府につっぱって表に復活させようとしている店があるらしい
ぜひとも、がんばってほしいものだ

とりあえず現代は純粋培養された人間が多すぎる
スーパーにいけば切り身の肉が売っていて
誰もそれが生物を殺して剥ぎ取ったものという意識を持たずに食べる
たぶん工場で生産されてる工業品みたいに思ってるのだろう
友達で科学センターでひよこが卵から孵るのを見てから
卵が食べられなくなった奴がいたが
ほんま俺からすれば
おまえ今まで、それ何やと思ってたんって感じ

自分の食べているものの実態を知るということは
とても重要なことじゃないかと思う
そして、一つの生命が生きるためにいくつの生命が犠牲に
(犠牲という言い方は正確じゃないな)
いくつの生命がその糧となってきたか
その生命を殺せば何万個の生命が無駄死にしたことになるのか
などを考える必要があると思う
ほんま小学校の授業で屠殺業者の社会見学ビデオでも見せるべきやわ

そういえば、その昔
ある小学校のあるクラスで空缶拾いで貯めたお金で鶏を買って育てていたが
卒業に際してその鶏をどうしようということになった
結局、学級会で家畜なのだからと全員で食べることに決まり
用務員さんに絞めてもらって鍋にして食べたのだが
その記事が新聞に掲載されたことから世論がえらい沸きあがり
賛否両論、えらい騒ぎになったことがあった
ちなみに子供たちは泣きながらも「すごくおいしかった」と言っていたらしい

人間、聖人君子な人なんかいるわけなく必ず汚い所はある
そして、そのほとんどの部分をお金を払って誰かにやってもらっている
ので、自分では見えにくい構造になっているのは確かだが
いいかげん、それから目をそらすのではなく
自分の汚い所も見つめながら生きていってほしいものだ
そこからでないと本当の正義や正しいことは見えてこないはずだから

モドル