偽善と偽悪

「偽善」
その言葉を使うものは世の中に多い
しかし、その意味を完全に把握して使っているものが何人いるのか?
そして、「偽善」とはいったい何なのであろうか?

人は自ら進んで「善」を行うものを指して
「偽善者」と言いがちである
理由としてはその善行が心から来てるものではなく
周りを意識してやっている行為だからとか
そういったことが多数をしめる

しかし、それは本当に「偽善」なのだろうか?

例えその行為が心からのものでなくても
周囲の目を気にして行った行為であっても
それを喜ぶ人・感謝する人が存在すれば
それは明らかに「偽善」ではなく「善」であるだろう

偽善という言葉をたてに自分は何もしないくせに
善を行う人に対して偽善であると批判する
まさにそんな人間こそ本当の偽善者といえるのではないだろうか
いや、偽善者以下の存在かもしれない

ところで「偽善」と同時にその反対語であると思われる
「偽悪」という言葉が存在するわけであるが
この「偽悪」とはいったい何なのであろうか?

先ほど「偽善」の一例を挙げたが
世の中にはその他多数の「偽善」が存在する
無知から善行と思い込んで悪行を行っているもの
善行の皮をかぶって悪行を行っているもの
しかし、そういったものは世間一般的には善と判断されていることが多い

そういったものをあえて批判するとき
その人に「悪」のレッテルが貼られるその状態が「偽悪」であり
自分の世間的立場を考慮せず善行とみなされる悪行を批判できる人間
世間的に悪行とみなされる善行でも、その行為を行える人間
それが「偽悪者」なのである

しかし、世間で「偽悪」なんていう言葉が使用されることはまずない
そういったものたちは全て「悪」に分類されてしまうからだ
「偽善」という言葉がよく氾濫しているのに対して
「偽悪」という言葉の希少な状態は不思議としか言いようがない
いいことにはケチをつけたいが
悪いことは美化したくないということなのだろうか

最後にこれだけは言っておこう
人は
その結果は別にして
進んで「偽善」「偽悪」を行うべきである
そして
世の中で一番罪が重い行為は
「何もしないこと」

モドル