ブスは性格が良い

世間一般的には
ブスの性格は良く、美人の性格は悪いとされる
単純に考えれば
ブスは容姿を補うために性格の向上に力を入れ社交性が高く
美人はちやほやされるため性格の向上はおざなりで社交性が低い
となるが
ほんとうにブスの社交性は高いのだろうか?
ほんとうにブスの性格は良いのだろうか?

心理学にピグマリオン効果というものがある
それは
「人間は周囲からあるイメージを期待されるとそのようになってしまう」
というものである
例えば
周囲からがさつな奴と思われ、そのように扱われ続けると
元々はそうではなくてもがさつな性格になっていってしまう現象である
つまり
最初、自分はそう思っていなくても
周りの多くの人間に「お前がさつやな」などと言われ続けると
そうなのかなと思い出し
自己暗示にかかりそのような性質に傾いて行く
そうなると周りの人もがさつであることを再認識し
よりがさつであるというイメージをその人に持つようになる
という繰り返しで結局、本質的にそうなってしまうような現象である

自分の存在を確認するには他人が必要であり
自分の性質を決めるにも他人との比較しかありえない
ゆえに起こる現象である

このことから考えると
ブスという役割を期待された人間は
無意識に容姿だけでなく
内向的になったり、容姿に無頓着になったり
社交性が低くなったり、歪曲した考えを持ったり等
立ち振る舞いや性格までも
ブスという役割を演じるようになっていってしまい
さらにそのことにより周りの人間からも
よりいっそうブスに見えるようになってしまうということである

また、人間の視覚と言うものは曖昧なものである
光の波長の投射を感じでそれをそのまま見ているだけではなく
見ていると感じる前に
光の情報を頭の中で像と言ういわゆる一つの集合体に組み立て
変換処理を行っているのである
つまり、写真のように物のそのまま姿を見ているのではなく
目に入った情報から脳が想像した映像を見ているのである

その最たるものが錯覚というもので
例えば
 ←―→

>―――<
を見比べた場合同じ長さであるにもかかわらず
後者の方が長く見えてしまうし
今までの球になっているテレビ画面に慣れていれば
フラットの画面を見るとへこんでいるように見え
逆にフラットの画面に慣れてくれば
今度は球面の画面がやけに飛び出して見えたりする

とにかく人間は無意識のうちに
自分の都合のいいように映像を頭の中で作り替えて見ている
つまり人間は他人の容姿を見るときに
無意識のうちにその人がどんな人間かという情報を加味して
その人の映像を見ているのである

このようなことはよくないだろうか
例えばあなたが入社や入学等で
全く新しい集団でスタートを切るとき
周りを見渡したがかわいい女性もしくはかっこいい男性は全くいなかった
しかし、個人的に交流を繰り返していくうちに
実はあの人かわいいとかかっこいいとかいうことを
思い始めることがあるはずである

実際の容姿は全く変わっていなくても
まさにその人に対して自分の持つイメージで
容姿の判断も上下するのである

つまり
確かに生来の容姿の整い具合の上下はあるが
容姿を決定する要因はそれだけではなく
それから人間のイメージを足し引きしたものが実際の容姿である

ゆえに
性格が良いと思われる人物の容姿が悪くても
本当にブスと思われる可能性は低く
本当にブスだと認識される人物は
容姿だけではなく性格もブスな可能性が高い

ただしここでの性格がブスということは
社会的にブスとしてイメージされる性格という定義であり
個人的利害関係等によって生じる性格が悪いということとは異なる

以上のことから考えると
ブスというものは生来の外見だけではなく
周りから判断される性格と
周囲と本人の意識・自己催眠・集団催眠によって生み出されるものである
ゆえに
性格が良い人物はブスの役割が与えられる確率は低くなるし
性格が悪い人物はより一層ブスの役割が与えられる可能性は高くなる
従って
ブスの性格が良いということは確率的に希有であるといえる

つまり
本当のブスは性格もブスである
そして
ブスは性格が良く、美人は性格が悪いという思想は
まさに、ブスを見下し、弱者として擁護しようとする
社会的偽善者の考え方に相違ない

モドル